商店街は個人商店の存在にかかっている。

商店街を活性化するためには個人商店の存在が欠かせない。
 
大手のチェーン店ばかりが出てきては、その商店街の特色、個性化が薄らいでしまう。
 
ところが、この個人商店の意識が問題だ。大手のチェーン店はマニュアルがあるからその通り接客すれば良く、だから何処へ行っても平均的なサービスが期待できる。
 
お酢を切らせてしまい、家内が急いで買いに出た。帰ってきて曰く、たまには酒屋さんでと買ってみたら、愛想の悪いこと、もお行かない!と怒っていた。
 
そういえば、先月だったか、家の電球が切れ、この際だからLEDに変えようと商店街の電気屋に行った。口径を間違えていったら、そんなの家庭ではほどんど使っていないと、けんもほろろの言い方をされてしまった。
 
マニュアル化はいやだがこころよいサービスを受ける手段はないものだろうか。
繁盛している近所の肉屋さん、豆腐屋さん、一言多いけれど明るく楽しい。

図書館から、欲張りだと思っています。

図書館でウイルキー・コリンズ『月長石』とオースチン・フリーマン『オシリスの眼』を借りてきた。『 月長石』の厚さにびっくりした。『失われた時を求めて』第二巻が後半にさしかかったので、だが欲張りだったかな。プルーストも比喩、慣用句、地口を駆使して面白くなってきた。

古典ミステリーの醍醐味

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死体を隠していたもの、よくある話だ。樽から出てきたものは、リヴリンだけならまだしも、淡いピンクの優雅なイヴニングドレスを着ている若い女の死体だった。
先ずは英仏の捜査官が活躍し、ありすぎる証拠、完全なアリバイを裏付ける。
なるほど、犯人はこやつしかいない。
しかし、これを覆すようなストーリーが後半の山場だ。樽は一個だけだったのか、もっとあったのか、英仏海峡を行き来するトリック、ロンドンやパリの地理に詳しい人だったら、ブールミッシュなどこの醍醐味は倍加するのではないだろうか。
衝動的殺人とは言いながら、後の計画性は悪魔のなせる技だ。最後の最後まで気が抜けなかった。悪魔は元天使だった。
エンディングのエピソードには、美味しいお茶と、うさぎやのどら焼きで、しあわせしました。

日本郵便のコマーシャルを見て、びっくりした。

何年か前に、荏原郵便局に簡易保険を問い合わせに行ったことがあった。

応対してくれたのはかなりベテランの中年の女性だった。

既往症の段階で、静脈瘤を手術した経験があると話したら、あからさまにいやな顔をされた。勿論受け付けてもらえなかった。

あの足をけがして包帯を巻いていたコマーシャルを見て、日本郵便、荏原郵便局は変わったのだろうか。親方日の丸、死語かな。

イエイツ『幼年と少年時代の幻想』を読んで

イギリスの詩人イエイツの子供の頃から、1900年近くまでの交友録が中心となっている。
幻想という題がついているが、それは余り感じられない。彼にとって現実だった。
 
イエイツの詩で最も好きな『イニスフリーの湖島』の風土や、『ケルトの薄明』の成立事情などを教えてもらい、アイルランド分離独立小史としても興味をそそられた。シェリーやキーツなど詩人も沢山出てくる。交友の中でも好きな人物、嫌いな人物がはっきり書かれてあり、父親からの影響も画家を目指した頃までかなり大きかったようだ。
 
心霊研究、神秘哲学、神智学などに興味あったようだが、自分の最大の関心である秘密結社『黄金の夜明け団』や『鷹の井戸』については触れられていなかった。
 
訳文が変に固く、ギクシャクしている個所が若干あり、平井正穂のような訳であればもっと読みやすかったと思う。
 
近くの八百屋へ買い物に行ったら、外国人が買い物に来ていた。親爺が言うには、イングランド人だよ。あのレストランの人か。家内は行ったが、自分はまだ行っていない。イエイツの詩でも朗読してくれたらと思うとワクワクする。

ジョージ・ギッシングに想う

売春婦ネルとの結婚に失敗し、将来を棒に振った。二度目の結婚も失敗している。
 
以前暮らしていた川崎の団地に、ご主人は日本人で奥さんがジンバブエ出身の家庭があった。数年後、奥さんが亡くなたが、その後一緒に暮らしていた方が、ジンバブエ出身だった。その後、二人はジンバブエに行ったと聞いた。
 
テレビコマーシャルの仕事をしていた頃、クライアントの製薬会社の担当者が現場に奥様を連れてしばしば来ていた。その後、その奥様とは離婚したと聞いた。しばらくして、再び現場に奥様同伴でみえた。驚いたことに復縁したと思ったが、前妻とは少し違ったが、非常によく似ていた。
 
人生繰り返しなのか。

本の山、ヒンシュクの山。

一冊を読み終えてから次を読むという習慣をなくしてからかなりな年数がたった。

いまでは最低5冊、多いときには10冊近くを順次読んでいる。

そもそも自分にとって読書とは、どんな本が相性に合うのかが読んでみないとわからない。従って、自分のイスの周りは本の山だ。家内の難しい顔が毎日見ることになる。

シモーヌ・ヴェイユのことは家内に言ってもわからない。彼女、家内ではありません、の生き方、行動力、思索、現代の人に置き換えると誰になるのだろうか。

と考えていると、歯磨きはしたの?と声がかかる。大向こうだったら格好が良いが、家内では。ああ、歌舞伎も久しく観ていないな。亡き勘三郎の『松浦の太鼓 』、吉右衛門の『妹背山婦女庭訓 吉野川』みておいてよかった。