パーキンソン病にアルツハイマー病が

体のいうことが効かなくなるのはパーキンソン病の症状だが、脳の方まで行ってしまうのか。

 

どれでもいいからと、入浴するときにしたぎとぱじゃを用意したら昨日のとは違うと怒っていた。

 

淡々と、トマス・アクイナスを読んでいる。

 

読書が頭の、心の安まり処。

幸田文『父・こんなこと』

忘れ去られた美しい日本語、使われなくなった言葉の宝庫です。
 
気に入ったり気になったりする個所に黄色の線を付けたら、あちらこちらのページが真っ黄色になってしまった。
これを手本に文章を書いてみたい。
 
ふと思いついた傘かしげ、肩引きなど江戸しぐは幸田文さんに似合いそうですね。

『読書について』

引き続き読んだが、「反復は習得の母」は得心。

ここでプルーストをふたたび読む意欲が出てきた。

「結末を知ることによってはじめて冒頭部分を正しく理解出来る」

何が正しいのかわからないが、芋づる式にわかる気がする。

 

有名な賞でもないが、社会に影響力を与えてる例がある。

ここで最優秀藤誠志賞が記述されていたが、受賞経歴を見ると、

田母神氏、西氏、それにびっくりしたのは我が選挙区の代議士先生、

変節、松原仁氏が出ていたではないか。

読書はよく読むと、なるほどと感心する部分と、

なんだこれはと納得行かない部分もある。

だから読書は面白い。

 

さあ!行こう。

図書館、ブックオフ

通りの名前、マンションの名前、勝手に付けてるな。

今日もかろうじて読書をした。

介護の合間ではごくわずかな時間だ。

 

どうせ読むなら、頭を悩ますものがいい。

ベルクソン読本』

 

青物横丁へ行ってきた。

駅前の通りが『ジュネーブ平和通り』と表示されていた。

辺りを見回したが、ジュネーブの香りがしない。

ミスタードーナツは閉店していた。

日高屋は営業していたが、ジュネーブでも平和でもないだろう。

結局、納得がいかないまま帰ってきた。

沢山読書をしてはいけないのか。

ショウペンハウエル新訳『読書について』渡部昇一編訳

『大量に、またほとんど一日じゅう読書する人は、自分で考える能力を次第に失ってゆく』

伊藤吉之助という東大教授がいたそうです。ただただどくしょしたひととしてしょうかいされています。

自分で考える能力を養うためにはどうしたらよいのでしょう。

続けて彼曰く『読書とは、自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうことである』

はあ〜

パーキンソン病との付き合い方

家内がパーキンソン病とわかってからかなりの年数がたつ。

初めは治る見込みもあるのではないかと期待する気持ちもあったが、進行性の病気とあってはその望みもなくなった。

健常そうな時もあると思えば、固まってしまって何もできないときもある。最近は半々になってきた。

固まったときはトイレに行くのも手を貸さなければならない。おむつも外せない。

話していることが聞きにくくなってきている。ついイライラとして返事してしまう。

いけないなと思いながら、仕事に行く朝など時間に追われているので我慢できなくなってしまう。

本人はさぞ辛いのだろう。

ごめんねと日々反省の山をこしらえている。

ゆっくり本を読みたい。

カラヤン ベートーヴェン第九番を聴く

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ベルリンフィルだ。指揮者の指先から見えざる糸が出て、楽団員を導き操っているように思える。毎年聴いているが感激は衰えない。

幸田文さんを読んでいる。このページから何かが出て引きずり込まれるようだ。

須賀敦子さんの文章も心を捕らえて落ち着く。

生活体験の後、記述に凝縮されて何度読んでも飽きない。