ミラネーゼなのかイラネーゼなのか。

ガレリアとは堂々として真似っこしているとは思えない。しかも、全体の空間からマクドナルドの看板の小ささもミラノ風なのかな。

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Amazon、Firefox、かりんとう・・・今日もいろいろあった

12月に発注したこたつ3点セットが、本体と掛け布団は届いたが敷き布団がいまだに届かない。こたつをしまう時期になってきたのでは話にならないので、Amazonに問い合わせたら発注した時点で在庫がなかったと返事があり、300円のギフト券でご勘弁をだった。1月19日まで配送予定のメールは何なのだったのか。


MacFirefoxでグーグル検索が出来ない。Kasperskyの設定、拡張機能がInstallしていないからか。しかし、どうやっても出来ない。そもそもKasperskyのサイトが拒否されてしまっている。


我が家のオールドMacでHigh Sierraにバージョンアプ出来たのはAirのみの寂しさだ。
Windows10とMacの両方を使っているけれど、なじみがいいのはMacだな。


カルディのかりんとうもさっぱりしていて美味しいのだが、マイバスケットのかりんとうはほどよい甘さがあり好みだ。

ポール・ド・マンの言葉が現実の町

戸越銀座が背骨、大動脈とすると、その南北にあばら骨、毛細血管の如く張り巡らされている坂、路地、そこにはまるで炭化していそうな木造住宅、庭もない樹木もない駐車場だけがある新築の建売住宅が混在している。

そこに住む人々が年寄りが多い町と思っていたら、電動自転車に乗った子連れの若い母親が幅をきかして、異なる時間層の並置(ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』)が進みつつある。

企業でも、コンピューターの世界でも、小説の分野にしろ、コンビニエンスストアにしろ、古いものは棄てられ、技術革新リノベーションと呼ばれる新しいものへ置き換えられてくる。

人も然り、温故知新は死語か。

戸越銀座でつかまえて

買い物へ行ったり、通勤の途中だったり、戸越銀座は生活の一部か大部分になっている。
あらためてこの著書を読んでみると新しい発見もある。戸越銀座駅脇の亀屋万年堂との間の怪しげな路地、安売りの八百屋、コーヒーショップ、中にはなくなってしまった店もある。
大手チェーンの店が幅をきかせる商店街になりつつあるが、それでも日高屋で味噌ラーメンを時折食べている。
八百屋の口が悪いおばさんも亡くなってしまった。肉屋さんのおばさんは愛嬌を振りまいてくれている。
商店街の脇に入ると、かろうじて立っている木造の家、お年寄りも多い、すれ違う約一割が顔見知りだは納得する。その又分類が面白い。
 
今日も八百屋の赤ら顔のおじさんに会うとホットする。心のガイドブックだ。

プルーストの山へ一歩一歩

プルースト山を征服しようと試みるならば、種々のルートが考えられる。
 
正攻法で正面からじっくりと読んで挑むコース、
ベートーヴェンワーグナードビュッシーなど音楽から挑むコース、
料理やその材料などから挑むコース、
演劇、美術などから挑むコース、
ギリシャ、ローマなどの神話、古典から挑むコース、
そして、最も興味を惹かれるのは、言語、語源による階級差を踏まえた探究から挑むコースだ。
 
貴族間の愛人関係や同性愛はそれに沿えている挿話にすぎなく惹かれない。
ソドムとゴモラIIを通過中。

須賀敦子さんと星野博美さん

須賀敦子トリエステの坂道』を読むと、初めて訪れた町とは思えない文章で吸い込まれてゆく。起承転結も緩やかで気品がある。
 
星野博美『戸越銀座でつかまえて』を読むと、生まれて育った街の親しさが迫ってくる。エピソードも豊富だ。
 
生まれた土地、家族、育ち方、学校、友人たちとの交流、そして社会へ、留学、海外経験、須賀さんも宗教は自ずとその文章に反映されてくると控えめに述べられていた。そんな重なりが文体となってくるのだろう。
 
さらに両女史の作品を読んでゆきたい。

世の中、割り切れないことが多い。

5種類入っていて

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18個とは。

ジョージ・エリオットの生涯も割り切れない。

『サイラス・マーナー』