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この人に会ってみたかった

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もしも、シモーヌヴェイユが今の日本を描いたら、どのような表現をするのだろうか。

もしも、シュライエルマッハーが渋谷を歩いたら、どのように説教をするのだろうか。

『独白』20代、30代、40代・・・と世代を変えて読んで自己を反省していたら、さぞかし自分の人生は変わっていただろう。

永遠の命に至る食べ物

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朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくらないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。ーヨハネによる福音書6.27

物欲、出世欲、金銭欲、性欲・・・ふしだらな生活になぜ飽きなかったのだろうか。肉の欲望を捨て去ると、異次元の世界が待っていた。

一度に三つのことを考えるな

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主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアはよい方を選んだ。それを取り上げてはならない」 ルカによる福音書10.41-42
自分はたいした頭の持ち主ではない。一度にそうたくさんのことはできない。気が利くことへの意識が働いて、つい多くのことを考える、してしまう。
確実に生きよう。聖書を批判的に読むということは、聖書に対する真摯さを量る指標とさえなりうる。聖書の批判的研究は、聖書の権威に対する崇敬の念を損ねるどころか、聖書本文の意味内容を良く理解する助けとなるはずである。とは『はじめてのカルヴァン』から
こう書かれていると、ますます読書意欲がわいてくる。

聖書の言葉が身にしみる

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マタイによる福音書

あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気がつかないのか。

著名な記述があります。今更それに気づいても遅きに逸しています。過去の人生、仕事においても、家庭にあっても、対人にあっても、もっと早く自分のことに気づいていれば、こんな恥ずべき自分がなかっただろうと後悔しています。

これからは少なくとも昔の轍を踏まないような人生を歩みたいものです。

 

カルヴァンから信仰を学ぶ

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カルヴァンの生誕から死後のカルヴァンから影響を受けた子孫たちマックス・ヴェーバーも、カルヴァン主義までを解説してある。
『はじめての』という書名で飛びついてしまったが、とくに神学部分の中身はかなり高度で『キリスト教綱要』が中心をなしていると思う。「神の愛と癒やしのわざを受ける者の内的経験にも関心があるということ」の第3篇、「キリストの恵みを受ける方途について」に最大の関心を持った。
自分が自分自身に目をやり、自分自身がどのような人間か気づき、自分の本来あるべき姿と対比したとき、気づいたときの恐怖に立ち向かう。そして、キリストの善あるいは義を身にまとる。
これまであやふやだった信仰とはを教えていただいた。

書狂かな?

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年間の読書量を100冊以上と決め、一昨年はそれを超えたが去年は70冊強にとどまってしまった。
気に入った文章を書き留めたり、感想文を書いたりしていたからだが、充実感はあった。
読みたい本が出てくると、まず図書館にインターネットで予約する。実際借りてみると、書き込みや傍線があったり、経年劣化というか手垢というか、読むに耐えないものもある。そんな時は、ブックオフオンラインショップで探して注文する。家人の目が気になり、在庫を増やさないようにと思いながらも増えてくる。
この『愛書狂』のようなコレクターではないが、文庫本と一緒に昼寝は快適だ。
フローベール、デュマ、ノディエ、アスリノー、ラングを集めた短編集だ。人にとって至高の時とはこんな時なのかと考えさせられ、心の落ち着くところ同感に思える面もある。
この本のあとがきが面白い。「世にビブリオマニア(愛書狂)という名称で呼ばれる不治の奇病に取り憑かれた人々がいる。・・・ひとたび愛書家になれば、永久に愛書病患者としてとどまる以外にない」

静かなところへ

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頼むから静かにしてくれ
午前中の空はウルトラマリン、ぽっかり浮かんだ雲がきれいだった。
昼から灰色の雲が増え、風も強くなり寒くなってしまった。
ウルトラマリンは窮極の行き着くところ。かまやつひろしも逝ってしまった。
静かなところへ