回想のブライズヘッド 下巻

「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。・・・」
ヨハネによる福音書9-3
 
罪の生活を送ってきたのではなく、情熱が挫折したのでもない。
ジューリアとライダーは別れるべくして別れたのだ。
 
好きとか愛しているとか言い合っている付き合いが続いて、「わたしは方角もわからない海に浮かんでいた 」と、ふと思うことがあった。
 
情熱というスカラー量は同じでも、ベクトルの方向が同じでなければ挫折が待っている。
コーデリアには「愛する」という動詞の過去形はなく生きて、
セバスチャン「愛する」という動詞の過去形で生き、酒飲みの修道僧でアフリカに埋もれてしまうのだろうか。
ブライズヘッドでの若き日の記憶。兄弟の離散。
広大な邸宅の相続で一波乱と思ったが期待外れだった。こだわりはないのか。
我が国だったら、醜い争いの一幕があったのではなかろうか。